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「どうせ自分なんて」と思ってた僕が、自分を認められるようになった話

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こんにちは、当ブログを運営しているしょうです。

僕はこれまで10年以上、会社員として働いてきました。
けれどその中でずっと、「どうして自分だけこんなにミスが多いんだろう」「仕事が続かないのは自分がダメだからだ」と悩み続けていました。

精神科を受診したとき、「ADHDの傾向があるかもしれませんね」と言われて、ようやくその理由の一端が見えた気がしました。
そして、自分の働き方や環境、日々の仕組みを少しずつ見直していく中で、「自分を責めるのではなく、認める」ことの大切さに気づいていきました。

この記事では、自己肯定感がゼロだった僕が、どんなふうに変わってこれたのかを正直に綴っていきます。
今しんどいと感じているあなたにとって、なにかのヒントになれば嬉しいです。

「どうせ自分なんて」と思っていた日々

誰かが仕事で評価されたとき、恋人と幸せそうに歩いているのを見たとき。
そんな何気ない日常の光景ですら、当時の僕にはつらく感じることがありました。

「どうせ自分なんて…」
そうやって、心の中で何度も何度もつぶやいていました。

社会人1年目、僕は「このままじゃダメだ」「人生を変えたい」と思って、勢いで副業に挑戦しました。
しかも、30万円という大金を借金して、情報商材の会員になったんです。

最初の数日は気合が入っていました。でも、続かなかった。
3か月もしないうちに、まったく手をつけられなくなっていたんです。

「これで人生を変えるんだ」と意気込んでいた分、挫折したときの反動は大きくて。
現実には何も変わらず、借金だけが残りました。

「なんてだめなんだろう」
「やっぱり自分はダメなんだ」
そんな言葉が、ぐるぐると頭の中をまわり続けていました。

当時付き合っていた彼女(いまの妻)には、イライラをぶつけてしまうこともありました。
それでもそばにいてくれて、何も言わずに受け止めてくれた彼女の存在が、いま思えばどれだけ救いだったか…

でも当時は、感謝よりも自己嫌悪の方が強かった。

「自分は、うまくいかない人間なんだ」
「他の人みたいにはなれない」

そう思い込んでいた頃の僕は、自分で自分を見捨てかけていたのかもしれません。」ADHDの特性が、自己否定につながっていた

あの頃の僕は、なぜこんなにうまくいかないのか、正直まったくわかりませんでした。

でも、あとから振り返って気づいたことがあります。
僕がつまずいていたのは、「性格」や「根性」のせいじゃなく、ADHD傾向による“特性”による部分が大きかったのかもしれないということです。

たとえば、こんなことが頻繁に起きていました。

  • 人から5つお願いされたことのうち、なぜか1つは必ず漏れる
  • メモを取っているのに、それでも抜け落ちる
  • 興味のあることは異常なほど集中できるけど、興味のない作業はまったく頭に入らない
  • 気分のムラが激しく、さっきまで前向きだったのに急に落ち込む

もちろん、社会人ならミスは誰でもあるし、気分の浮き沈みもある。
でも僕の場合、それがあまりに頻繁すぎて、人間関係や評価に大きな影響を与えていました。

周囲からすれば、「なんでこれができないの?」「ちゃんと確認したの?」と不思議に思われていたと思います。

そして、それに対して僕自身がいちばん強く思っていたんです。

「なんで自分はこんなにできないんだろう」
「努力してるのに、なんでうまくいかないんだろう」

こうした失敗の積み重ねが、少しずつ、でも確実に、自分の中の“自己肯定感”を削っていきました。

そしてもうひとつ、ADHDの特性で厄介なのは、「認知のゆがみ」が強く出やすいこと。

  • 白か黒かで考えてしまう(100点じゃなきゃ0点)
  • 一度の失敗を何度も何度も思い出してしまう
  • できなかったことばかりに注目してしまう

こういう思考のクセは、放っておくと、自分を否定する材料ばかりを集めてしまいます。

事実よりも、解釈が重くのしかかる。
そして、その解釈に、自分で自分を苦しめてしまう。

僕が「やっぱり自分はダメなんだ」と思い込んでいたのも、まさにこのループの中にいたからだと思います。

精神科に行ったとき、スイッチが入った

あの頃の僕は、毎日がいっぱいいっぱいでした。

仕事では納期に追われ、指示も曖昧、コミュニケーションも噛み合わず、頭の中は常にパンパン。
ミスが続くたびに自己否定が膨らみ、何をしてもうまくいかないように感じていました。

朝は起きるだけでしんどい。
電車に乗れば涙が出そうになる。
会社では平静を装っていたけれど、家に帰ると何もできない。
無力感とイライラが同居して、感情のコントロールがまったく効かなくなっていました。

ある日、妻(当時はまだ恋人)から「大丈夫?」と聞かれたとき、
それまで溜め込んでいたものが一気にこみ上げてきて、思わず「もう無理かもしれない」と漏らしていました。

それが、自分の中でようやく「助けを求めてもいい」と思えた瞬間だったのかもしれません。

その数日後、僕は精神科を受診しました。
病院に行くという行為自体、当時の僕には大きなハードルでした。

診察室で、自分の状態をうまく説明できるか不安でしたが、
医師はゆっくり話を聞いてくれて、穏やかにこう言ってくれたんです。

「ADHDの傾向があるかもしれませんね。
それに、自分をとても強く責めているように見えます」

その瞬間、肩の力がスッと抜けたような、不思議な感覚がありました。

「そうだったのか…」
自分がずっと苦しかった理由のひとつに、名前がついた気がしました。

“よかった”という気持ちが半分。
“これからどうすればいいんだろう”という不安が半分。

でもその時はじめて、
「自分を責めるのをやめてもいいのかもしれない」と思えたんです。

頭の中に、大学時代に言われたある言葉がよみがえってきました。

「自分を好きになれないやつが、他人に愛されるわけがないよ」

そのときは腹が立ちました。
でも、ずっとその言葉が心に引っかかっていました。

そして、少しずつ「自分を嫌わない努力」を始めようと思えた。
それが、僕のスイッチになったのだと思います。

さらにもうひとつ、大きな転機がありました。
それは、子どもが生まれて、少しずつ僕を「お父さん」と認識してくれたときです。

「自分がどう思っているか」ではなく、
「自分を必要としてくれる存在がいる」という事実が、じわじわと自分を変えてくれた気がします。

“誰かにとって、自分が意味を持っている”
その実感が、少しずつ自己否定の霧を晴らしてくれました。

自己肯定感を取り戻すためにやった3つのこと

診断を受けたからといって、すぐに人生が変わったわけではありません。

でも僕は、「自分を否定しすぎていた」ことに気づいてから、少しずつ行動を変えていくことにしました。
大きなことではありません。
本当に、小さなことから。

結果的にそれが、自己肯定感を取り戻すうえで大きな意味を持ったと感じています。

① 筋トレと散歩で「小さなハードル」を越える

はじめに取り組んだのが、筋トレと散歩でした。
きっかけは単純で、「体を動かすと少し気分がマシになる気がする」という実感からです。

筋トレといっても、ジムに通ったり重たいダンベルを持ったりではありません。
自宅でスクワットを10回だけ、腕立て伏せを5回だけ、そういうレベルです。

散歩も、1日15分程度からスタートしました。
でも、その「今日もやれた」という小さな積み重ねが、自分の中で“自信の土台”になっていったのを感じています。

忙しくてそれらができなかった日、逆に気持ちがどんよりと落ち込んでいることに気づいて、
「ああ、自分にはこの習慣が必要なんだ」と確信しました。

② 生活リズムを整える

次に意識したのが、「早く寝る」ことでした。
夜中にスマホを見たり、ダラダラとSNSを見続けたりする時間が、自分を削っている感覚があったからです。

寝る時間を30分早めるだけで、翌朝の気分がまったく違いました。
ほんの少しのことですが、それだけで「自分を大事にしている」と思えたんです。

生活のリズムが整うと、感情の波も少しずつ穏やかになっていきました。

③ 頼れるときに、頼る

昔の僕は、「人に頼るのは迷惑だ」と思い込んでいました。
でも今は、「頼れるものは頼ったほうが、自分も周りもラクになる」と考え方が変わりました。

たとえば仕事では、自分が苦手な部分を早めに共有しておいたり、
家庭では、家事ができない日は素直に「今日は無理」と伝えたり。

人に期待されすぎるのが苦手だった僕にとって、
「できないことは正直に言ってもいい」と思えるようになったことは、とても大きな変化でした。

頼ることは甘えじゃない。
むしろ“自分を守るための戦略”なんだと、今はそう思っています。

スイッチが入った瞬間

変わろうと意識し始めたものの、日によって気分が沈んだり、昔の自分を思い出して落ち込むことも少なくありませんでした。

でも、ふとした瞬間にスイッチが入ったように、「このままじゃいけないな」と思えた出来事があります。

それは、大学生の頃にある人から言われた言葉でした。

「自分を好きになれないやつが、他人に愛されるわけがないよ」

当時は腹が立ったし、「好きになれないものを好きになるなんて無理だ」と思っていました。
でも、その言葉だけは、なぜかずっと頭の片隅に残っていたんです。

社会人になって、失敗を繰り返し、自分を嫌いになっていく中で、
この言葉が何度もよみがえってきました。

そしてようやく、少しだけ意味がわかってきた気がしたんです。

完璧じゃなくていい。
すべてを好きになれなくてもいい。
でも、「自分を嫌いになりすぎないようにすること」はできるかもしれない。

そう思ったとき、少しだけ、自分に優しくなれた気がしました。

もうひとつ、大きなスイッチになったのは、子どもが生まれてからのことです。

最初は何もわからなかった赤ちゃんが、少しずつ言葉を覚え、
ある日「おとうさん」と僕を呼んでくれた瞬間。

胸の奥に、何かあたたかいものが広がりました。

自分で自分を認められなくても、
こんなふうに「存在をまるごと受け入れてくれる人」がいる。

それだけで、「もうちょっと自分を大事にしてみようかな」と思えるようになりました。

自己肯定感って、たぶん自分の中からしか育たないけれど、
その火を灯すきっかけは、いつも“誰かの言葉”や“関係性の中”にあるのかもしれません。

自己肯定感は“育てるもの”だった

昔の僕は、「自己肯定感が高い人は、もともとそういう性格なんだろう」と思っていました。

でも今は、まったく違う考えを持っています。

自己肯定感は、“気合い”とか“才能”とか“ポジティブ思考”から生まれるものじゃない。
むしろ、「自分との約束を守れた小さな積み重ね」から育っていくものなんだと、今では思えるようになりました。

筋トレを毎日やった。
今日はちゃんと寝た。
感情的になりそうなときに、一呼吸おけた。

そんな「誰にも気づかれないような成功体験」を、
自分がちゃんと見てあげること。

「よくやったな」って、心の中で言ってあげること。

それだけで、自分の中にあった“ダメ出しマシーン”の声が、ほんの少しだけ静かになっていく。

もちろん、まだ今でも自己否定がゼロになったわけじゃありません。

でも、自分を責めていると気づいたときに「ちょっと待てよ」と立ち止まれるようになった。
そして、「それでも自分はここまで来たんだ」と思えるようになった。

自己肯定感って、一度手に入れるものじゃなく、毎日少しずつ耕していく土壌のようなものかもしれません。

誰かに与えてもらうものじゃなく、自分の中で育てていくもの。
そして、その種はきっと、誰の中にもある。

まとめ|小さな一歩が、最大の近道だった

「どうせ自分なんて…」
そう思っていたあの頃の僕に、いまの僕が声をかけられるなら、こう言いたいです。

「大丈夫、変わることはできる。
でもそれは、いきなり何かを変えることじゃない。
小さな一歩を積み重ねていくことが、いちばん確実な近道だよ」

ADHDの特性や気分の波で、何度も自分を責めてきました。
でも、「自分はこういう特性なんだ」と知って、少しずつ向き合い方を変えていくことで、僕は変われました。

筋トレ、散歩、早く寝る。
たったそれだけのことが、自己肯定感の土台になっていったのです。

そして今、こうしてブログを通して自分の経験や気持ちを言葉にできるようになった。
仕事でも評価され、任せてもらえることが増えて、年収も上がりました。

もし今この記事を読んでくれているあなたが、「自分はダメだ」と感じているなら、
どうか思い出してみてください。

「小さなことを一歩ずつ超えていくことが、未来を変える一番の近道」だということを。

あなたが、あなた自身を少しでも認められるようになることを、心から願っています。

ABOUT ME
しょう
しょう|30代の会社員 「ADHDっぽいかも」と感じながら働いてきました。 ミスや人間関係に悩んだ経験から、働き方を見直すように。 このブログでは、自分に合った働き方を探してきた過程や転職についてお伝えしています。