こんにちは、当ブログを運営しているしょうです。
私は会社員として10年以上働いてきましたが、「人よりミスが多い」「仕事が続かない」「評価されない」と感じる場面が何度もありました。
転職も経験し、必死に頑張ってきたつもりでしたが、どうしても思うようにいかない。そのたびに「自分がダメなんじゃないか」と自己否定を繰り返していました。
そんな僕が、ある日、精神科で「ADHDの傾向がありますね」と言われたのは32歳のとき。転職して数年が経ち、マネージャーを任されるようになった矢先のことでした。
診断を受けたことで、自分の中で長年モヤモヤしていた「なぜうまく働けないのか?」という問いに、ようやく答えのようなものが見つかりました。そして、そこから少しずつ、自分に合った働き方を考えるようになりました。
今回は、そんな僕が「ADHD傾向がある」と診断されてから、マネージャーとして働けるようになるまでにどんなことがあったのかをお話ししたいと思います。
この記事を書いている人
- 発達グレー×仕事・転職
- ADHD気質あり/働き方に悩んできた会社員
- 働き方を見直してWeb広告プランナーに転職
- 悩みながらも、マネージャー職に
- 仕組みと工夫で年収650万円

僕が最初に就職した会社は、全国転勤が当たり前の環境でした。
2〜3年ごとに異動があり、どこに飛ばされるかは会社次第。家族がいても、自分の希望があっても、そんなことは関係なく「明日から●●県ね」と言われたら、それに従うしかありませんでした。
しかも、業務の進め方はマニュアル通りにやるのが基本。改善提案や工夫は求められず、「とにかく決まった通りにやれ」が当たり前の空気でした。
仕事そのものは嫌いじゃありませんでしたが、ふと気づいたんです。
「このままここで働いていて、10年後、自分は何ができるようになってるんだろう?」と。
正直、焦りました。
成長できる実感がなく、未来がまったく見えない。異動で新しい場所には行けても、それは経験じゃなくて“移動”でしかない。スキルが積み上がっていくわけでも、自分の考えで動けるようになるわけでもない。
「このままじゃ、自分が壊れる」
そう思って、転職を決意しました。
もちろん不安はありました。
でも、何もしなければ今の延長線上の人生しか待っていない。ならば、怖くても動くしかないと思ったんです。
転職を考え始めたとき、「次はどんな仕事に就こうか?」と考える前に、まず頭に浮かんだのは、「このままじゃマズい」という焦りでした。
全国転勤・マニュアル通りの業務・スキルが積み上がらない職場。
そこから抜け出しても、次も同じような環境に入ってしまったら意味がない。
「自分に何ができるのか?」 「この先、どんな働き方をしていきたいのか?」
この問いに、正面から向き合わざるを得ませんでした。
そんな中でたどり着いたのが、「手に職をつける」という方向性でした。
世の中の流れを見ても、スキルのある人ほど柔軟に働ける時代になっている。会社に依存しすぎず、自分の力でキャリアを築いていけるようになりたい——。そんな想いが自然と強くなっていったんです。
そのときに真っ先に頭に浮かんだのが、Webマーケティングでした。
僕はもともと、新卒で入社した会社でマーケティングに関わる仕事をしていました。
といっても、チラシをつくったり、イベントを運営したりと、どちらかというと「オフライン施策」が中心です。
現場に立って人と関わる仕事が多く、たしかに経験値は積めたし、今でも学びが多かったと思っています。
でも、同時にこうも思っていました。
——「このままじゃ“勘と根性”でしか戦えない」と。
オフライン施策は、効果の見えづらさが常について回ります。
費用対効果を数値で判断するのが難しく、「なんとなく良かったかも」で終わってしまうことも少なくありません。
一方で、Webマーケティングはまったく違います。
反応がリアルタイムで数値に出る。
仮説→実行→検証→改善というPDCAを高速で回せる。
数字を見ながら考えるというのは、自分にとって大きな挑戦になると感じましたが、「スキル」として身につける価値は間違いなく高いと確信しました。
それに、Webの世界は日々進化しています。
変化に合わせて常に学び続ける必要がありますが、それは逆に言えば、「飽きずに工夫できる環境」でもある。
僕にとっては、それもすごく魅力的でした。
飽きっぽくて、ルーチンが苦手で、「ずっと同じ仕事」だと耐えられなくなる自分にとって、変化のあるフィールドというのはまさに理想的だったんです。
そうやっていろんなことを考えた結果、「Web広告に飛び込んでみよう」という決断に至りました。
正直、未経験からの挑戦は不安だらけでした。でも、「成長できる仕事がしたい」「この先の人生を変えたい」という気持ちの方がずっと大きかった。
僕の転職は、「逃げ」ではなく、「自分の未来をつくるための選択」でした。
転職して、念願だったWeb広告の仕事に就くことができました。
新しい職場は風通しがよく、裁量もあって、周りも尊重してくれる人ばかり。
しかも、広告配信の効果がリアルタイムで数値に現れるのが面白くて、仕事自体は本当に楽しかった。
「やっと自分に合った仕事に出会えたかもしれない」
そんな手応えすら感じていました。
でも、現実はそんなに甘くありませんでした。
仕事に慣れてくると同時に、少しずつ自分の“弱さ”が顔を出してきたんです。
広告運用は、細かい設定作業がとにかく多い仕事です。
ターゲティング、入札単価、除外キーワード、計測タグ……ミスがあればすぐに配信に影響が出てしまいます。
気をつけていたつもりでも、「設定は完璧に終わらせた」と思っていた部分が抜けていた、ということが何度もありました。
どんなに慎重にやっても、何かひとつ抜けてしまう。
自分でも理由がわからない。でも、気づいたときにはヒヤッとするような状況になっていて、冷や汗をかきながら対応する日々。
「またやってしまった……」
そう思うたびに、自信がどんどん削られていきました。
さらに厄介だったのは、“ソワソワ感”がずっと消えないことでした。
運用型広告は、配信が始まってからも気が抜けません。
土日だろうと、夜だろうと、「何かトラブルが起きてないか」「成果は悪化してないか」と気になってしまって、常に気が張った状態が続きます。
休みの日も、心のどこかで仕事のことが頭から離れない。
通知音に敏感になったり、無意識にレポート画面を開いてしまったり。
オンとオフの切り替えがうまくできず、「常に神経が張り詰めた状態」が続いていました。
でも、不思議なことに——それでも仕事は嫌いじゃなかったんです。
配信結果が数時間後には反映されて、自分の工夫が数字に出るのがうれしい。
クライアントから「成果出てきたね!」と言われるのが励みになる。
意見を出しやすい職場の雰囲気もあって、前職よりもずっと前向きに働けていました。
「好きだけど、うまくいかない」
「楽しいけど、しんどい」
この矛盾した感情が、自分の中でずっと渦を巻いていました。
転職して数年、仕事にもだいぶ慣れた頃。
僕は、ある大手クライアントを担当することになりました。
規模が大きく、求められるレベルも高い案件。
もちろん、やりがいはありました。
でも、それと同時にプレッシャーの大きさが自分をじわじわと追い詰めていったんです。
普段以上に慎重に進めているつもりでも、
設定漏れ、納期の勘違い、確認ミス……
「やばい、また抜けてた」
「絶対に失敗できないのに、なんでまた……」
毎回同じような場面で、同じようなミスを繰り返す。
どれだけ注意しても防げない。
気づけば、頭の中がずっとざわついていて、“ノイズ”が止まらなくなっていました。
疲れているのに寝つけない。
食欲が湧かない。
週末はひたすらベッドでスマホを見ているだけ。
「あれ、もしかしてこれって…」
心のどこかで、うつのような状態に自分が近づいていることを薄々感じていました。
32歳のとき。
人生で初めて、精神科の扉をたたきました。
診察では、仕事のことや昔からの傾向についていろいろ聞かれました。
そして、先生が言ったんです。
「ADHDの気質があるかもしれませんね」
その言葉を聞いて、不思議と驚きはありませんでした。
むしろ、「ああ、やっぱり」と、どこか腑に落ちる感覚。
子どもの頃から、忘れっぽくて、抜けやすくて、
何度も怒られては「なんで自分はできないんだろう」と自分を責めてきました。
でも、その原因が「性格の問題」ではなく、脳の特性だったと知って、少しだけ救われたような気がしたんです。
同時に、先生からは「思考のノイズを抑えるための薬があります」と言われ、試してみることにしました。
服用を始めると、あれほど頭の中で渦巻いていた“ぐるぐる思考”が、少しだけ静かになりました。
「あ、なんとか働けそうだ」
そう思えた瞬間でした。
ADHD気質があると言われたことで、すべてがラクになったわけではありません。
でも、自分のことをちゃんと説明できるようになった。
「甘え」や「努力不足」と言われても、それだけじゃないと自分で理解できるようになった。
それが、僕にとって大きな意味のある出来事でした。
ADHDの気質があるかもしれないと伝えられてから、僕の中で何かが大きく変わったわけではありません。
でも、「どうせ自分はダメなんだ」と思い込んでいた時期に比べて、“向き合い方”を考える余地が生まれたのは確かでした。
薬の効果で思考のノイズが少し落ち着いたこともあり、
僕は「完璧を目指すのではなく、ミスを防ぐ仕組みをつくろう」と発想を切り替えるようになっていきました。
たとえば、設定漏れを防ぐためのチェックリストを細かく作るようになったり、
気になることがあればすぐにメモするクセをつけたり。
通知やタスクの整理方法も、自分に合うように少しずつ改善していきました。
それでも、完璧にはできません。
だけど、ミスをゼロにすることではなく、「起きたときにすぐにリカバリーできる状態を整える」ことに集中するようになってから、少しずつ気持ちがラクになっていきました。
そして、周りの人たちの支えも大きかったと思います。
僕は昔から、興味があることには没頭するタイプです。
「これ面白そう!」と思えば、知識ゼロでもやってみたくなるし、
やり始めると止まらなくなる。
そんな僕の性質を、上司や同僚がちゃんと見てくれていました。
「やってみたいことがあるなら、やってみていいよ」
「お前は最初にとりあえずやってみる力があるよな」
そう言ってもらえたことで、「興味があることには、どんどんチャレンジする」という働き方を自分なりに確立していきました。
気づけば、チーム内でも頼られる場面が増えていき、
新しい案件や、新人の育成、提案資料の作成など、“任される仕事”が増えていきました。
もちろん、苦手なこともあります。
でも、すべてを完璧にこなす必要はない。
「得意なことで貢献すればいい」と思えるようになってから、仕事に対する自信が少しずつ積み重なっていきました。
ミスが多くて怒られてばかりだった僕が、
いつの間にか、チームの中で“いないと困る存在”になれていた。
その実感が、自分を支える大きな土台になったんです。
そんなふうに、自分なりの働き方を少しずつ築いていく中で、
ある日、上司からマネージャーを任せてもらえることになりました。
正直、驚きました。
ミスも多いし、周りを引っ張るようなタイプでもない。
「僕なんかがマネージャーで本当に大丈夫なんだろうか?」という不安の方が大きかったです。
でも、上司はこう言ってくれました。
「しょうは、どんなことにも手を挙げてチャレンジしてくれる。
そういう姿勢がチームにとってすごく大事なんだよ」
その言葉に背中を押されて、僕はマネージャーの役割を引き受けることにしました。
最初は手探りでした。
「まとめ役」としてふるまうことも、「指示を出す」ことも慣れていなかったので、戸惑うことばかり。
でも、無理に“マネージャーっぽい自分”を演じるのはやめました。
分からないことは素直に聞く。
困っている人がいたら一緒に悩む。
メンバーの得意なことを見つけて、そこに仕事を割り振る。
そんなふうに「チームが動きやすくなるように整える」ことを意識しているうちに、
少しずつ、マネージャーというポジションが自分の中に馴染んできた気がします。
気づけば、数字の管理や業務フローの整備、新人育成など、
組織全体を見渡すような役割を担うようになっていました。
もちろん今でもミスはあります。
忘れっぽさや衝動性に苦しむこともあります。
でも、それを「隠す」のではなく「受け入れたうえで工夫する」ようになってから、
少しずつ自分に対する信頼感が育っていったんです。
ADHDの気質は、たしかに仕事を難しくする側面があります。
でも、同時に「人と違う視点」や「思いついたらすぐ動ける行動力」にもつながっている。
昔は欠点だと思っていたものが、いまでは「武器」として少しずつ使えるようになってきた。
そんな感覚を、今ようやく持てるようになってきました。
そんなふうに、自分なりの働き方を少しずつ築いていく中で、
ある日、上司からマネージャーを任せてもらえることになりました。
「自分に務まるだろうか」という不安はありましたが、
同時に「ようやくここまで来たんだ」と思えるうれしさもありました。
上司は、こんなふうに言ってくれました。
「あなたは、どんなことにも手を挙げてチャレンジしてくれる。
そういう姿勢がチームにとってすごく大事なんだよ」
その言葉に背中を押されて、新しい役割に一歩踏み出すことができました。
もともとまとめ役や指示を出すような場面にもある程度慣れていたので、
大きくスタイルを変えることはありませんでしたが、
「チームが動きやすくなるように整える」という視点を意識するようになりました。
分からないことは素直に聞く。
困っているメンバーがいたら一緒に考える。
それぞれの得意なことを把握して、力を発揮しやすいようにサポートする。
そうやって関わる中で、少しずつ「任せる力」や「俯瞰で見る力」が育っていったように思います。
気づけば、数字の管理や業務フローの整備、新人育成など、
組織全体を見渡すような仕事も任されるようになっていました。
もちろん、今でもミスはあります。
忘れっぽさや衝動性に苦しむ瞬間もあります。
でも、それを「隠す」のではなく「受け入れて、仕組みで補う」ようにしたことで、
少しずつ、自分を信頼できるようになっていきました。
ADHDの気質は、たしかに仕事を難しくする面があります。
でも、同時に「人と違う視点」や「思いついたらすぐ動ける行動力」にもつながっています。
昔は欠点だと思っていたものが、いまでは「武器」として使えるようになってきた。
それが、あなたの中でもきっとできるようになると思っています。
もし今、あなたが「うまく働けない」「このままで大丈夫なのか」と悩んでいるとしたら、
かつての僕も、まったく同じ場所にいました。
頑張っているのに評価されない。
小さなミスで信頼を失う。
周りの人と同じように働けない自分が、どこか欠陥品のように思えてしまう。
だけど今なら、こう言えます。
あなたの中にある「やりづらさ」は、あなたが悪いわけじゃない。
それは性格ではなく、特性かもしれない。
努力不足ではなく、環境や仕組みの問題かもしれない。
僕は32歳で精神科を受診して、「ADHDの気質があるかもしれない」と言われました。
その言葉で、自分の過去の失敗や苦しみの“理由”がようやくつながった気がしました。
診断名がついたからといって、すべてがラクになるわけではありません。
でも、そこから「どう付き合っていくか」「どう働いていくか」を考えるきっかけにはなりました。
大事なのは、「向いていない場所で無理をしないこと」。
完璧を目指すよりも、「自分の特性に合った働き方」を見つけていくことだと思っています。
僕自身、まだまだ試行錯誤の途中です。
でも、ミスだらけだった自分でも、環境を変え、働き方を見直すことで、今はマネージャーとしてチームをまとめる立場になれました。
ADHDの傾向がある人にとって、
働くことは簡単じゃないかもしれません。
でも、「自分はどうすれば働きやすくなるのか?」を見つけていくことは、誰にだってできる。
このブログが、少しでもそのヒントになれば嬉しいです。